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西山水木の鶏頭と蠍尾

本日初日です。

ずいぶん長い間、ただただ芝居の現場だけにいました。 最後の追い込みに行ってきます。 アンのお友達、「ハイブリッド渾沌 」の金子薫さんから、感想を伺いました。 ぜひお越し下さい。 今日から8日まで、神楽坂のシアターイワトです。 ========= 今日もLa compagnie“A-n”の稽古を見学。 ネタバレしなければ日記に書いてもいいですか?の問いに 「ネタバレしてもいいよ」 とのお返事が!? 確かに、一部見た稽古をネタバレしたところでその内容を語りつくすことなどとてもできず、内容をもらそうがどうしようが、生で見るアンの魅力は変わらないからな~。 納得! そう、三回ほど稽古を見せていただいたけれど、ストーリーも全貌もまったく予測がつかないのである。訳がわからないのではなく、突拍子もない展開が続いちゃうというのでもない。 なんというか、カオスなんである。 あっちにいる人が、こっちに居る人たちが、思い思いに動く。身体の動きだけではなく、何かをするために“動く”。 今まで見てきたアンは、もっと個人的なカオスの集合だった気がする。人の思いは喜怒哀楽で単純化できるようなものでなく、その複雑さを感じられるのがアンの作品だ!と思っていたけれど。 今回は、舞台全体がカオスのように思える。 一瞬、カオス=ぐちゃぐちゃのような気がするかもしれないけれど、カオスを孕みつつ物語はしっかりと紡がれていく、ようだ(一部しか見てないので)。 カオスから創造するのは神だが、アンの創造者水木さんは、神ではない。手塚治虫のような神視点から創造することもできるのだろうが、あくまでも水木さんは人間だ。 だからこそそのカオスは人間への慈しみにあふれ、見る人に、すぐ隣にあるカオスを感じさせることができるんじゃないだろうか。 隣にあるとは言ってもカオスはカオス。身近から、遠い宇宙や創世までつながっているはず。 そんなものを目の前の舞台とつなげちゃおうというのか?! なんて壮大なことをしようとしているんだろうか。 人間自体がカオスだと私は思っているから、個人で占める部分の多い創作活動ならまだしも、人との係わり合いでできていく芝居はつまりカオス×カオス×カオス……。 カオスの何乗かのさらに外側にもカオスを作ろうとするなんて、今まで思いついても、実践しようとした人はかなり少ないんじゃないだろうか。きっと、まだ誰も開拓していない想像の荒野を、裸足で向かい風に向かって歩いていくようなもんだろう。 圧倒的な孤独に立ち向かっているだろう水木さんの姿に感動した。 その姿のあまりの遠さに、絶望を覚えるとともに希望をもらう。 とても力と勇気がわいた。 本番がとても楽しみだ。 いつもアンの公演は二回とか見ているのに、今回は時間がないのでどうしても一回しか見られない。 自分でたてた稽古予定を後悔しつつ、その一回を全力で見ようと気合を入れております。

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