『飯舘村 ―放射能と帰村―』拝見。自分らしく。どう寄り添うか。どう生きるか。

IMG_5843山谷典子さんと待ち合わせして、土井敏邦さんの『飯舘村 ―放射能と帰村―』拝見。

のっけから胸を衝かれる。

被災された志賀さんご一家、長谷川さんご一家の、深い眼の奥がスクリーンに大きく映る。土井さんが『映像のプロたちから「緩慢すぎる」』と指摘され、その点を危惧されていた第一部だが。私は緩慢どころか、(ドキュメントなので当たり前かも知れないが)「これが、現実なのだ」と押さえつけられ追い込まれるような気がした。

すべてが進まない今の福島。安全が叫ばれ除染がひたすら進み、闇のお金が飛び交い。収束!復興!のかけ声の中で、置いていかれる人達の、絶望と諦めの、一歩手前で踏みとどまる哀しいまでの強さ。

…そう、私たちはやがて…彼らが置いていかれているのではない、踏みとどまっているのだとわかる。トラックの荷台に登るのを断固として拒否する牛たちの姿が象徴的だ。

センチメンタルな当事者感覚とは一線を画して、観客はその画面の中の世界に入って行かざるをえない。日本に住み、故郷を離れ、東京でいつの間にか被曝している私の問題なのだ。追い立てられてどこかへ闇雲に進み、そういう悲しみがあることを知りながら毎日を忙しくさせて、思考停止ばかり巧くなって行く私の。

そして、二部の「除染」。
6億かけても二割三割しか叶わない除染。庭や車庫は除染しても裏山や母屋が除染不可能のまま、帰村を促す強い流れ。想い出を故郷を、家族を愛する気持ちをとことん利用してもてあそぶこの「除染村」の仕組みに、土井さんの画面からマグマのような怒りを感じた。(もちろん、インタビューの優しい−少しの佐賀弁の−相づちや礼儀正しさは変わらないのだが)

こんな簡単な詐欺に近い仕掛けだが、仕掛けた方の言葉の、閉じた詭弁のループを断ち切ることは本当に難しいことは身を以て知っている。大きな分断の裾の方で、私たち表現に関る人間の友情やコミュニティーも分断されている。放射能が分断したのではない。この「仕掛け」のせいなのだ。

この矛盾を、カメラは明快に映し出す。映像がすごいのはこういうところだ。演劇が叶わないところはこれ。映るんだな、これが。

ああ、長くなってしまう。とにかくひとりでも多くの人に見て欲しいです。生々しい「フクシマ」の姿を見て欲しいです。

31日までです。
上映の詳細→http://doi-toshikuni.net/j/iitate2/
今後の上映予定
■【大阪】2013年6月15日(土)~28日(金) 第七藝術劇場
■【宮城】2013年6月22日(土)~28日(金) 仙台・桜井薬局セントラルホール
■【兵庫】2013年7月6日(土)~12日(金) 神戸アートビレッジセンター
■【愛知】2013年7月以降 名古屋シネマテーク
■【福島】2013年8月以降 フォーラム福島
■【広島】2013年8月以降 横川シネマ

写真は、映画にも登場されて「除染」の禍々しさを整然と述べられる菅野さんの作られていた、あぶくま高原名物『いいたて煮豆』

被曝前のものだ。
小さなタイムマシンのようだ。

時間はこの中に閉じ込められたまま。決して私たちをあの時に連れ戻してはくれない。

では、どう向き合ってどう生きていくか…。

土井さんの作品はいつもこうして優しく背中を押して厳しい時代と自分らしく向き合う勇気をくれる。

終映後のポストパフォーマンストークは我らが根岸季衣センパイ

根岸さんのシンプルな言葉の中から、演劇とドキュメントが人の心(生)に寄り添う時、その作業はすごく似ているなと感じた。


□■西山水木のヴォイスレッスン■□
by にしやまみずき   comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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