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西山水木の鶏頭と蠍尾

すべての人生を平等に照らしてくれる演劇の魅力を説明できるようになりたい

西新宿の無人の地下演劇は「言葉」の芸術、文学のひとつだと思われがち。でも、演劇に於いて言葉は「言葉が通じない」という局面で使われることが多い。ズレや勘違いを描く時観客はとても喜び、通じない不完全な言葉に魂が載った時に初めてカタルシズムを感じて感動する。

人は通じないからいつも喋り足らずに喋り続ける。

それとは別に弁論、討論、がある。これは、演劇的だけど、一旦舞台の上に乗ると、言いたいことを言えてる人はえてして聡明だけれど孤独に描かれ、「凡人」役がツっ込み的に花を添えることが多い。観客はその突っ込みを頼りに、論ずる言葉そのものよりも彼がなぜ喋るのか、登場人物の気持ち、情熱へ理解が進んで行く。

今日、素晴らしく頭のいい人と会った。
なんと、5時間以上、ピカピカ脳を光らせて。
私の人生に殆どなかった「会話」をした。
ドラマに描かれることの殆どない種類の「会話」。

言葉が耳からでなく、雨に降られたように体にしみ込んで、私は感動しました。
そして、知性とは癒し励ますものだと得心がいった。

小さな恋のメロディーダメなダメな私。平凡な脳みそを奮い立たせて、世の中のことを知りたくてしかたがない私。
忘れていく、多幸的な思考回路。

そんな私でも、知性に触れることは大切なんだ。

写真は、ふと拡げてみた昔のレコード。

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