愛宕からチベットへ

「あたご」の事件から、何かを書く事が本当に重くなって、この日記さえ滞る。 なぜ、新しい憲法のもとでの自衛の「軍隊」に、あの「愛宕」の名前をつけたのか神経を疑う。遺族である私たちは本当に辛く悔しい。 愛宕とは ===== http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411287429 1944年10月22日から始まったフィリピン・レイテ沖海戦に出動。 翌23日早朝5:53に米軍潜水艦SS227の魚雷を4発被弾して炎上しました。 最後は6000フィートの水柱を上げて沈没したようです。水柱が上がるということは、 ボイラーの水蒸気爆発でしょう。死者360、生存者529です。 ちなみに、愛宕はミッドウェー海戦から無傷で帰還した名鑑です。 艦の性能も良かったですが、艦長、乗組員も優秀だったのでしょう。 ==== 母の、すぐ上の兄は死者360名のうちのひとりだった。 ミッドウェーから帰って来た伯父は、休暇を貰い、夜中に佐世保から基山まで帰り、祖父母小父小母の歓迎を受け、「ジュラルミンが違う。撃っても撃っても穴が穿げん。もしかすると、負けるかもしれん」と話して、また戦地へ旅立ったという。 ===== 「胡主席と会う用意」ダライ・ラマ14世が表明 3月20日23時4分配信 読売新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080320-00000042-yom-int  【ニューデリー=永田和男】チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は20日、亡命政府が置かれるインド北部ダラムサラで記者団に対し、「中国指導部、特に胡錦濤(国家)主席とはいつでも会う用意がある」と述べ、チベット自治区内外で続く暴動が収まり次第、トップ会談で問題の根本解決を探りたいとの意向を表明した。  ダライ・ラマは「中国側から(会談に応じるという)確固たる意思表示があれば、現在の危機の後、数週間後でも数か月後でも喜んで会う」と語った。  一方、ダライ・ラマは19日夜、声明を発表、中国政府に対して亡命政府との直接対話再開を求め、国際社会にも協力を呼びかけた。 ====== 月がきれいだった。高木ミッちゃんと自転車をこぎながら美しい月を見た。すっきり晴れた月も美しいけれど、こういう紗幕越しのバックサスみたいな優しさ溢れる月も素晴らしい。月を見ながら、月が見ている世界の事考える。 ダライラマの写真を見たとき、何か頑固で精力家の乾物屋のおじさんみたいで、びっくりした。このタフさを今は頼もしく思う。 僧侶の祖父とマルキストの父の果てしない論争を思い出す。神仏を「ばあちゃん」と言い変えて、いまわが実家は静かな仏教徒としての体裁を保っている。秋の新作のために仏教関係の資料を集めていたが、本当に今のチベットの混乱は、宗教、スポーツ等、何かを信じている人の心をことごとく引き裂いて、遠い私たちの国にも広がっている。

□■西山水木のヴォイスレッスン■□
by にしやまみずき   comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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