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□■西山水木のヴォイスレッスン■□
by にしやまみずき    |   |  page top ↑

真摯の風が吹いて、慈愛の雲が充ち、豊穣の雨が降る。少し翳った方が人は正直になる。

劇作家協会理事会のみ出席して、総会は委任して欠席。重いサウンドシステムをガラガラと引っ張って、稽古場に向かう。 電車中で、小峰公子氏から写メールが次々と届く。 今回の3作品は不思議にリンクして、ひとつの大きなテーマの海に流れ込む。 ビヴィジュアル重視。私の演出に強力な味方をしてくれるのは、もちろん照明(今回は千田実氏)とそしてそして、グレイト・モロ。マリア・コーコ。 お父様のプレゼントの古い高級時計。お母様の取って置きのお洋服。 http://koko.asablo.jp/blog/2006/05/28/383788 ETS.ETS… キャラクターを支える、細かい配慮は本当に、畏怖尊敬!だ。 この力を借りて、俳優たちがみるみる集中していく。 本番前の辛いとき。みんなどんな夜を過ごしているのだろう。 泣かないで、泣かないで。 こんなにスタッフさんたちはみんなを見守っているよ。俳優は、一人では演じられない。共演者としがみつきあって、この流れを泳ぎきる。 このセンチな文章を笑う人は笑ってください。でも、本当なんです。舞台の上を一人では生きていけない。俳優の優とはグループを指します。サークルとか結いとか、集まる力自体のことを言います。
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アイデンティティー、のリアリティーティー。アイティティティーーティーーー。

この世界をどう表現するか? それは、詩人が考えよう! 小峰公子の、詩よ!…!私の船よ! しかし、この肉体は? しかも、パントマイムな肉体表現は? 言葉を、船に例えたのは、言霊を、満載して、江戸に上る紀伊国屋の船みたいな景気のよさ。を表現したかったからだが、実際はひとりのこぎ手が、何かの大きな流れに乗ったり逆らったり…。 「リアリティー」。私たちは、必死でその舟をこぐ。 1999年にアンを作った時、書いた「祈りのあとに」。科白のない、ささやかな私の台本の、ささやかなト書きから、冒険は始まった。 これも詩、なのかな? とらわれる人は、西山にGO! カタルシスは解釈です。 今週の蠍座。 今週はみんなが誰かと言い争っているような印象を受けるかもしれません。何ひとつとして簡単にまとまらないのです。これはあなたの過失?そんなことはありません。あなたにできることはあるでしょうか?今の時点ではまだありません。もちろん、手をこまねいて見ていられないのだったら、あなたなりにベストを尽くしてください。しかし、次の点は覚えておきましょう。時として宇宙の嵐はひとりでに発生し、ひとりでに治まるということです。

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このバラも咲いたんだから…!

このバラは、5年前、100円で買ってきた。アブラムシの総攻撃を受けて、何度死にかけたことだろう。土と肥料の知識がなかったため、成長が止まっていた時期があった。今年は全身毛虫にたかられ、西山が葉を全部切っちゃたんで、丸坊主。しかも西山は何だか生類哀れみコンプレックスのため、御丁寧に毛虫は全部空き地に捨ててきた。丸坊主のまま、開花した。 ある朝、開いた。歓声を上げた。本当に勇気をもらった。私に、花が咲いたような気がした。この写真は今朝のだが、本当にフォトジェニックで可愛い! 稽古場は予定通り、本番前の大ピンチ。このピンチはきっと豊かに花開くに違いない。 カタルシスという言葉がある。 catharsis は、ギリシア語が語源で排泄作用を意味する言葉ですが、アリストテレスが詩学を論じるときに魂のノイズを排泄する、つまり人間の身体性を排泄するところにまで抽象化して使ったものですから、演劇界でも使われるようになったのでしょう。 それが Empathy と同義だとすれば、たぶん catharsis は身体性の消去そのものを意味すると思います。つまり〈一体化〉(あるいは〈超越〉)です。身体というベールを脱いだ一体化(超越)=魂の露現です。 たぶん演劇のダイナミクスは、それ(=魂の露現)をその対極の身体を使いながら実現するという矛盾の中にあります。 芦田宏直氏のBLOGよりhttp://ashida.sakura.ne.jp/blog/2006/03/post_129.html#comments ここで話されたテーマとは違いますが、たとえば、私が音楽を愛している時、「私が音楽を愛している」という幸福感は「私は音楽に愛されている」という実感だと思うんです。 人間業の演技でも、恋愛のシーンを演じる時、よい恋愛シーンを演じるには、お互いの俳優が「私がこの人を愛している幸福感」を、丁寧に作ることがとても大切だと思う。何もよく世間で言われるように本当に恋におちなくても、気持ちが通い合う二人の人間を描くには、それぞれの俳優がきちんと、通い合うイメージを自分の身体表現の責任の中で、細かく創造することが大切だと思うんです。 ここに、演劇が持っている調和への智慧があると思うんですけど、何かたとえ話がうまく出来なくて…。俳優たちにどう伝えていいのかわからないの。こころのありようや、魂のことではなく、ある「技術」だけがそれを出来る。相手役を愛せないとか相手役の愛を感じないとか、そんな精神論よりも、大切な人とこころが通い合っている状態を観察して、構築するのが、大切なのではないかな、と、思ってます。 …うーん、だからっ!このバラは私のことなんか知っちゃいない、という真実をちゃんと理解したうえで、このバラを私が愛していて、そのことによって、励まされているという状態をきちんと作りこんだら、あたかもこのバラが、「水木ちゃん。毛虫を取ってくれてありがとう、ほら、こんなに元気になったよ。葉っぱがなくても、バラという名前じゃなくても、バラはバラよ。」と私にシェイクスピアを読み解く鍵を渡してくれる、とそういう展開。

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海ぶどう

三線の音の流れる静かな店で、静かな美しい人に美しい話を聞く。 何のため? ネタの裏とりのためなのじゃー!泡盛空けてもえひもせすん。



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共謀罪

私、民主主義って、少数意見の洗練にあると思うんです。 また。少数意見を尊重した、多数派のひとりであることを、いつも、皆の決め事の時には自覚していないと!だまされた、ごまかされたまんまの多数派になっちゃう。 強行採決なんて!本当に、許してはいけない。 少数を抹殺しちゃう共謀罪。 日本ペンクラブ共謀罪反対声明 「共謀罪新設法案に反対し、与党による強行採決の自制を求める」  いままさに日本の法体系に、さらにこの国の民主主義に、共謀罪という黒い影が覆いかぶさろうとしている。  自民・公明の両与党は衆院法務委員会において、一両日中にも共謀罪導入のための法案の強行採決を行なうつもりだという。  私たち日本ペンクラブは、文筆活動を通じ、人間の内奥の不可思議と、それらを抱え持つ個々人によって成り立つ世の中の来し方行く末を描くことに携わってきた者として、この事態に対して、深い憂慮と強い反対の意思を表明するものである。  いま審議されている共謀罪法案は、与党が準備中と伝えられるその修正案も含めて、どのような「団体」であれ、また実際に犯罪行為をなしたか否かにかかわりなく、その構成員がある犯罪に「資する行為」があったとされるだけで逮捕拘禁し、厳罰を科すと定めている。法案の「団体」の限定はまったく不十分であり、また「資する行為」が何を指すのかの定義も曖昧であり、時の権力によっていくらでも恣意的に運用できるようになっている。  このような共謀罪の導入がこの世の中と、そこで暮らす一人ひとりの人間に何をもたらすかは、あらためて指摘するまでもない。民主主義社会における思想・信条・結社の自由を侵すことはもちろんのこと、人間が人間であるがゆえにめぐらす数々の心象や想念にまで介入し、また他者との関係のなかで生きる人間が本来的に持つ共同性への意思それ自体を寸断するものとなるだろう。 この国の戦前戦中の歴史は、人間の心象や意思や思想を罪過とする法律が、 いかに悲惨な現実と結末を現出させるかを具体的に教えている。 私たちはこのことを忘れてはいないし、また忘れるべきでもない。  そもそも今回の共謀罪法案は、国連総会で採択された「国連越境組織犯罪防止条約」に基づいて国内法を整備する必要から制定されるというものであるが、条約の趣旨からいって、人間の内心の自由や市民的活動に法網をかぶせるなど、あってはならないことである。にもかかわらず、法案は六百にもおよぶ法律にかかわり、この時代、この社会に暮らすすべての人間を捕捉し、その自由を束縛し、個々人の内心に土足で踏み込むような内容となっている。 このような法案に対しては、本来、自由と民主を言明し、公明を唱える政党・政治家こそが率先して反対すべきである。だが、与党各党はそれどころか、共謀罪の詳細が広く知れ渡ることを恐れるかのように、そそくさとおざなりな議論をしただけで、強行採決に持ち込もうとしている。こうした政治手法が政治それ自体への信頼を失わせ、この社会の劣化を招くことに、政治家たる者は気がつかなければならない。 私たちは、いま審議されている共謀罪に強く反対する。 私たちは、与党各党が行なおうとしている共謀罪強行採決を強く批判し、 猛省を求める。   二〇〇六年五月十五日 社団法人 日本ペンクラブ 会長 井上ひさし

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La compagnie An の考える 「デラシネ(deracination)」

一般的な意味はderacination 【名】 (祖国・故郷などからの)引き離し、孤立 ってことですが。 演劇的な「自由」を獲得するために、「ナショナリティー」などを含む「アイデンティティー」から自分を引き離すことを言います。 それから前述のself-dependence 【名】 自己依存、独立、self-reliance=自力本願、自立、自信 えーーと、上記の「自己依存」についてですが、Anの、西山は祖父方の本家がお寺さんだったので、しばしば、仏教用語まがいの言葉を使います。仏教者としての造詣は全く深くないです。全く。でも、その智慧を都合よく拝借したいと思います。 本来の意味はこんなかな?突っ込みお願いします。 本願成就(キリスト教で、自己責任と近いのかな?たとえばいい芝居が作りたい!とか)で、自力は、自己の力に委ねること。他力とは、仏の力に任せること。自信とは、自力を信じること。しかし、他力を信じる力は自力あから生まれる。他力と自力って、反対語ではないので御用心。 他力ってなんか私にとっては批評家や、時代も含む「観客」って感じ。 自力本願と私が言ったからって、「アラ、西山は仏教のセクトだわ」と思わないで。 サルトルさんっていう人がいて、 人間は「実存が本質に先立つ」「自由な存在」であるとし、自由は不安をもたらすが、不安を克服し自己責任で実存を生き抜くことを説いたんですね。 言葉は難しいけど、この理屈は演劇に置き換えると簡単です。 勝手にここ(稽古場)使ってください、の、時間。 暗くしてみました。勝手にやっててください。ただちょっと暗くするだけだから。

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明日!川崎CLUB TITTA ZABADAK LIVE 2006

ZABADAK LIVE 2006 2006年5月21日(日) Open 17:00 Start 18:00 @川崎 CLUB CITTA' …の準備のため、レポートはお休みです。 明日は小さな発表会。 その後、川崎へ、 由佳と清木場ちゃんは、お祝い事のダンスのため、今夜は奥多摩に向かいました。 アンはあなたの寿ぎのお座敷に踊りに伺います。明日は稽古場に直行。 あかねちんは、明日の小さな発表会の準備。 そして何と幸せなことでしょう? TEYOのremixがあがりました! 即、吉良さんと公子さんに送ると、吉良さんから絶賛のメール。デザイナーの諸橋さんは今回、吉良さんのステージ衣裳も手がけます。大好きな人同士が大好きなんて。「平和」の理想がこんなに身近にあるならば、後の生活をすべてかけても、このネタは、いらした方、すべてお渡しします。 そんなワークショップも、あっという間の明日が最終日でした。

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La compagnie Anの考える「表現」

人の体を捜す。 「人は人に触られると気持ちいい」 もちろんここは演劇、演技のワークショップ。私、人に触られるの苦手なんです…という人も、非常に人の体には興味がある。みんな集中して美しい表情。他人の身体って自分にとって何なんでしょう。 触る、触られる触覚は自分のもの。しかし柔らかい、硬いという感触は「他」でしょうか?「自」でしょうか? アンはこれも、「自」と考えます。「筋肉の柔らかい人」と感じるているのは「他者を触っている自分の一部」です。これは自分の感覚に触るエクササイズ。その人に「あなたは筋肉の柔らかい人だ」とその人が「私は筋肉の硬い人だ」ということの間にある違いを探す。 前半の由佳の体のエクササイズで、感じたことを「言葉で」話す。 言いたいことがいえなくてもどかしく、むなしい会話が続く時。たいした会話じゃないのに自由にのびのびとシャべって嬉しい時。台本読んでいても、演出していても、どうして人は喋るんのかなあ、といつも思う。 「では体を触って感じたことについて話してください」なんて、ゴムタイな…。訳がわかんない時、人は元気がなくなる。私たちはマジシャンでも、スピリチャルカウンセラーでもないから、思わせぶりなことをしないでばらしちゃいますね。わはは。これもレッスンです。「何だかわかんない」ことを、人類が共有できるメディア(なんて、要するに、ジェスチャーも含めた会話ね」に託す。自分の経験を使って、相手の経験を創造して、自分の語彙の中から他者に通じる言葉や、その組み合わせをさがす。途端に皆の声も言葉もつぶだって、眼が輝く。それを自覚する。自分に主体性があると、話すのも聞くのも楽しいぜ。(今、「リズム」の台本直し中なので…少年言葉使ってみました) それから、自己紹介、今度は言い訳自己紹介。 「私今、ちょっと○○ですが、○○と思われた方、誤解です。私本当は△△です!」…みたいな。 この写真は、書いた眉毛が落ちて薄くなった言い訳をする、清木場ちゃん。何ともいえない表情です。バカ受け。転げてる人もいたくらい。弱みをさらすことが魅力になるなんて、他人って本当に優しいですねええ。 さてさて、ジェストダンスの続き。集中力が付きました。今回のレッスンは「自立」のレッスンです。「self-dependence(独立)」とか「deracinate(孤立する・させる)」っていうこと。花伝書にある「弧心」。に向かうレッスンです。 同時に、科白以上に雄弁な「仕草」を洗練させたいですねええええ。 あと、音楽は人間の味方だ。音楽の調和の智慧を探そう!演劇と音楽の関係。自立(self-dependenceとderacinate)のスキルを音楽からいただこう! ってことで続く。

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ZABAZABAZABA…ZABADAK

ああ!ワークショップの前にはZABADAKライブのリハーサル。 たくらんでいったことが、実際の音の中でも踊れるのか。 踊れた。 しっかりカウウント分けして、当日までにうっつくしいものにするわ! 嬉しい。ってこういうことを言うのね。 私が喜んでる。 喜んでいる私を私がまるで私じゃないみたいに楽しんでる。 え?ミュージシャンの方々、皆さんこんな快楽歓喜?いつも? 役者は、芝居で喜ぶ時は自分じゃないんだよね。 役が喜んでいる。 喜んでいる役を私がまるで私みたいに楽しんでいる。 しかし、これほど、体と感情と、集中力をコントロールできるミュージシャンって人種…不思議な人たち…いっつも思う。 そして、小峰公子の詩よ!!うつくし……。 http://koko.asablo.jp/blog/2006/05/17/368568

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アンの短期ワークショップ 一日め

さあさ、始まりました。 ジェストダンスを利用して、「表現」って何かを探す旅。 今回はいわゆる台本を使ってのレッスンではない。 しかし、焦点を「演技」のスキルアップに絞り込んでの4日間だ(短かッ)。 アンの演劇のトレーニングは「BODY」!!! 決して「こころ」には触りません。 いわゆる啓発ゼミなどで、演劇のトレーニングを使って心の訓練をした人は、本当に実際役と向き合う時に苦しみます。だから、癒しを求めての参加は無理ね。痛みを何とか「経験」にして「智慧」にして、苦しい役者人生を乗り切るか…。 トレーナーに出来ることは、手足の上げ下げだけだと思うんです。 今日は由佳のエクササイズから始まる。 身体を使った自己紹介みたいなものかな? ここでいきなりみんな和む。やはり、体って圧倒的ですね? ただし皆さん、油断しないで、主体はあなた自身。それは由佳がそうさせたのでも、何かわからないスピリチャルパワーみたいなものがしたのでもなく、皆さんが五感を使って「獲得した」物です。 稽古場を観察して居心地のいい場所を探す。 人は観察するときに「眼」をすごく使います。そこに映るものは、あなたの眼をあなたがコントロールして「見て」いるものです。 稽古場があなたに稽古場の姿を見せているものではない。 これ役者にとってすごく大切。役と稽古場をコントロールする基本だ!。 居心地のいい場所。そこはあなたが五感を使って、沢山の経験の中から判断して、選んだ場所です。あらかじめ用意されていた場所ではありません。 偶然も必然もありません。 、と、いきなり、小峰公子の詩が配られ、「踊って」なんて言われて、皆さん戸惑うかと思いきや、いきなりのびのびと踊りだした。 悩みも、楽しんでみたら?恥ずかしいことも楽しんで。 ……さて楽しむ事だって同じです。 何だかわからないことを人は決して楽しめません。 でも、回答の用意された「もてなされた」ことで楽しむのはもう止めよう。 稽古場では、行儀悪くふざけて、すばやく人との距離を探す。自分のアチチュードが受け入れられたら、体の置き所が探せます。 さて、どうしたら受け入れられるのか?容姿?聡明さ?声?仕草? とにかく、最後は稽古場で孤独になって、自分の体を捜しました。 それで踊ってみて、とにかく、 孤独な人たちが自分に夢中になって踊ってるときにこその、他者から見た調和を確認しました。 明日は演劇の最大魅力、「一体感」とか「調和」のより深い意味をさがしましょうぜ! 人は人間を見るのが好き。

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西山 水木/にしやま みずき
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